大阪府岸和田市に生まれる。京都市立美術大学工芸科で富本憲吉氏に師事し、造形性を追及する作陶の態度を学ぶ。 1969年には岩手県遠野に釜を築いて隠棲、家族や周囲と隔絶した厳しい環境に身をおいて一途に現代陶芸の新しい分野に挑戦し、「曲線彫文壺」や「彩陶壺」など次々と斬新な作品を世に送り出した。こうした加守田の陶芸は日本陶芸界の衝撃的な反響を呼び、現代陶芸の旗手として人々の期待を集めた。 83年2月に49歳という若さで逝去した。